急増する性犯罪者が穴という穴をつけねらう。へこみにでっぱりをはめることで、事物が平らになり、即ち平等が実現するとうそぶく。日本のヴァジャイナが危ない。木のウロに満足できない色情狂から身を守るための、たったひとつの方法がある。最終的に膣を狙うのは屹立する肉の槍であって、それをいかに弛緩状態に戻すかが鍵である。死んだおばあちゃんの思い出を喚起させる。ゴムの伸びきったズロースをはく。なるほど。他には? 男性器をちんぼと呼ぶ。田んぼのイントネイションでちんぼと呼べば、盛りのついた彼氏を黙らせることも出来るだろう。

前を歩く人が歩きタバコをしていたので、いやだなあと思って追い抜かしたその拍子におならが一口分出てしまいました。私はイヤフォンで音楽を聴いていましたので、どのくらいのボリュームでおならが響いたのか、或いはおならの振動は私の体の中だけに留まって他人に知れることはなかったのか、知るよしはありません。ただひとつ言えることは、私が浴びたタバコの煙と、彼があびたガスが混ざり合い、私と彼との間には完全に平等な空間が出現したということ。確かに一瞬だけ存在した。

電車で通勤しております。対面の女性は至って普通のOLさんで、歳は30を少し過ぎた頃の落ち着いた雰囲気がありましたが、なぜか首から胸にかけての露出が多いのです。よく見ると、骨折した腕を吊っているようで、おそらく遠山の金さんのように服を着ているのでしょう。私は事情を察するに至るまで、じろじろ見つめてしまいました。気づくと女性は俯いて、何かに耐えているかのようです。恥ずかしそうにしている、その態度は良くない。かえって煩悩が刺激される。脳に生えたおちんちんが摩擦される。いけませんいけません、すみませんすみませんと唱えながら私も同じく俯いて考えたことは、いっそはだけた先の先端が見えてしまえばエロ子様は退散してしまうのではないか。見えてしまえば形や色などの評価は免れず、未知の可能性を秘めている状態に劣るだろう。いっそ見えてしまえば…。

チンポとマンコが合体した状態をマンポということにする。チンポともマンコとも取れない境界のあやふやな状態だ。女性と男性が空間を共有している、例えば学校の教室などで、陰毛を発見したとする。マンコに生えていたのか、チンポに生えていたのか判然としないため、これをマンポ毛と呼ぶ。東芝の社員はメタボ対策の一環として、マンポ毛の携帯を義務付けられているという。

漁船が沈没し、地元のおばさんたちが海に向かって、だいじょぶだぁ太鼓のシングルをぽこぽこ叩きながら念仏を唱えていたのを見た。安否が分からないうちから念仏を唱えていいのかという疑問には、となりのととろでメイちゃんを探していたおばあちゃんも念仏を唱えそうだということで、胸のつかえは降りた。もう一方の興味、あの太鼓たちは普段はどこに仕舞われているのだろうか。一大事だということで、押入れの奥から引張り出してきたのか、それとも日常的に使われているものなのか。洗濯物がたまってきたからそろそろ晴れて欲しいナァ、ポコポコ、くらいの軽い感じで使われてでもいなければ、あんなに足並みよくだいじょぶだぁ太鼓は揃わないはずだ。

挨拶できない大人が増えていると聞きますので、あけましておめでとうございます。今年もよろしく。というのを略してあけおめことするのは、流行ってましたか。私の周りだけだろうか。例えばノーパンしゃぶしゃぶというお店が嘗て存在していたと聞きますが、ノーパンで一体どこをしゃぶしゃぶするのか。しゃぶしゃぶするときにノーパンである必要はあるだろうか。あるだろう。あるだろうが、おつゆをこぼしては店の衛生状態に関わるとして、前張りをするのだが、それではノーパンの看板を下ろさなくてはいけない。陰毛は露出しているが、ワレメちゃんにテーピングであればどう見る。ならば店内を忙しく注文をとるうち股が擦れ、そのテーピングがワレメちゃんの形を浮き出させていたら、どう見る。いっそのことタンポンのみであればどうか。なるほどそういうときだから給仕さんもその気になりやすいということかなどと性欲を昂ぶらせた男性特有の自分勝手な解釈で出入りを繰り返していた。店への。